それは小学1年生の春のことだった。
俺は家出した。
別に家族と喧嘩したわけではない。
いや、確かに原因は家族にあったのだけれども。
そう言うのも、俺はあの頃産みの母さんの仕事の都合で育てのかーさんに預けられた影響で、転校とかもあって色々と身辺が落ち着かなかった時期でもあったからだ。
そもそも、前から母さんとかーさんが学生時代からの友人だったとかで、家ぐるみの付き合いがあったおかげもあって、最初から全く赤の他人って感じはしなかった。
けど、やっぱり本当の家族ではないと思ってたんだろうな、あの頃の俺は。
それに転校した新しい学校に馴染めていなかったということも重なって、知らぬ間にストレスが蓄積していたことも手伝った。
で、環境が変わって1ヶ月ぐらいの時に、雨の中、傘もささずに家から飛び出していった。
目的地は特になかった。
今思うと、前の家に帰りたかったのかもしれない。
何にしろ、雨に打たれながら、俺は行く宛てもなく、ただひたすらに走り続けた。
で、30分〜1時間弱(もう10年以上も前の話だからよく覚えてない)走った時だったか。
疲れたからか雨に打たれすぎて体が冷えたからかよく覚えてはいないが、足を止めてすぐ側にあった公園に入った。
で、公園の中を見回してみたら、ちょうど中がトンネルのように空洞になっている遊具を見つけたんだ。
そこで、雨宿りしながら体を休めようと思ったんだろうな。
俺は遊具のトンネルの中に入ろうとした。
でも、入れなかった。
それもそのはず。
中には既に先客がいたのだから。
その遊具のトンネルは奥行きがあまりなくて、子供でも詰めれば何とか2〜3人入れるようなもので、先に入っていた奴は真ん中を占拠していたのだから、俺の入れるスペースはなかったんだ。
ムッとなって、俺は無理矢理先客を端まで押しやって自分用のスペースを作ろうとも思った。
でも、出来なかった。
「ひっく……おとーさん、おかーさん、どこ……?」
その先客の俺と同じぐらいの歳に見えた女の子は、蹲りながら泣いていたから。
子供の頃の俺はどうも戦隊モノの影響か、無駄に正義感が強くて、泣いていたり困っている子を助けようとせずにはいられなかったんだよな。
だから、俺も泣きたかったはずなのに、その女の子の涙を止めたいって思っちまったんだろう。
で、声をかけた。
「どうしたの? おとうさんたちとはぐれたの?」
「ふぇ……?」
女の子は涙で目を真っ赤に腫らした顔で遊具の外から見つめる俺を見た。
「……だれ?」
初対面だったせいか、女の子の俺を見る目が少し怯えたものに変わった。
そんな顔されるとは思っていなかったから、あの時はすごく焦ったね。
んで、何とか安心させられるような言葉を探したけど見つからなくて、正直に事情を話した。
「ぼくは、いえでしたんだ」
「いえで?」
「うん」
それから、女の子もずっと泣いていて俺の話を聞くような気分じゃなかっただろうけど、俺は家出に至るまでのことを全部話した。
母さんの仕事の都合で今の家に預けられて、本当の家族と離れ離れになってしまったこと。
家が変わったせいで学校も転校することになり、新しい学校で馴染めずに友達がまだいないこと。
今の家族もよくしてくれているけど、やっぱりまだ他人だという印象を受けてしまうこと。
……今思えば、ひとりぼっちで蹲って泣いている女の子に何でここまで洗いざらい話したのかは分からない。
きっと、この子なら俺の気持ちを分かってくれると勝手に信じ込んでいたからなんだろうけど。
まぁ、根拠のない自信をどうして無駄に持ってたのか馬鹿らしかったけど、俺の話が終わると女の子が泣き止んでいたから、怪我の功名にはなったと思いたい。
「わたしと、いっしょだね」
「いっしょ……?」
「わたしも、おとーさんとおかーさんがいなくなっちゃったの」
それから女の子が自分の事情について話し始めた。
要約すれば、今は前から仲良くしてもらっていた家族と暮らすようになって、両親に会えなくなった。
だから、外に行けば、本当の家族に会えると思って、家を飛び出したけれど、結局会うことは出来なくて、雨も降ってきたので、こうして遊具の中で雨宿りして蹲っているということだった。
幼心ながらに、自分と同じだとこの子の話を聞いて思った。
……まぁ、後で知った話と総括すると厳密には違うわけだが、この時は知らないんだから問題にはしない。
「わたし、ほんとうにひとりぼっちになっちゃった」
俺に全てを話した後、女の子が再び顔を膝に埋めてすすりだした。
「そ、そんなこと……」
ないよって続けようとしたが、少女が俺が言い切るより先に、泣き顔のまま首を横に振った。
「あるよ。もういえをでてからたくさんじかんがすぎたけど、だれもわたしのことをむかえにきてくれないもん」
「……」
女の子の言葉に、何も言い返せなくなった。
いくら本当の家族じゃなくたって、この子のことを家族だと思っているのなら、義理の親か兄弟の誰かが捜しに来るはず。
それに家出少女の言葉で、俺よりも長い時間外にいるってことも、子供ながらに分かった。
……俺も、この子のように、誰も捜しに来てくれないのかも。
そう思うと急に心が大きな不安で覆われた。
「ふぇ……おとーさん、おかーさん…………こわいよぉ……」
俺の不安にシンクロするように、女の子の泣き声が大きくなった。
その声の大きさに比例するかのように、俺の不安も強くなっていく。
……こ、これじゃ、だめだ。
幼いながらも俺はこの時そう思った。
このままだと心が不安で押しつぶされてしまう。
危機感を覚えた俺は、この状況を打破しようと女の子に近寄ることにした。
この時、俺は彼女を安心させることが出来れば、不安も収まるって思ったんだろうな。
実際、この子の言葉で俺も恐怖を覚えてしまったわけだったし。
でも、もうこの時に思ってたことをはっきりと覚えていないけど、それ以外のことも考えて女の子に近づいていったんじゃないかとも思う。
それは、この子の泣き顔じゃなくて笑顔が見たかった、心から安心させたかったってこと。
今もそうだって親しい人間には言われるけど、俺は昔から誰かが泣いてたり悲しんでたりするのを見るのが嫌だった。
だから、この時も。
……まぁ、やっぱり俺のことだけ考えて、女の子を落ち着かせようと思ったのかもしれないけど、過ぎたことだから考えすぎたってしょうがない。
とにかく、その時の俺は遊具の中で蹲る家出少女に近づき抱きしめた。
で、女の子の方は驚いて、体をビクンと震わせた。
「え、えっとさ。げんきだして。もし、このまま、だれもきみのことをむかえにこなくても、ぼくがいるから」
……うん、今思い出すと、とても歯が浮く台詞だったな。
そんな言葉を何の恥ずかしげもなく言えたって意味で、昔の俺はすごいかもしれない。
今の俺にはあんなこと言うの無理だわ。
「ぼくのいえでいっしょにくらそう。ぼくのいまのおかーさんにいっしょうけんめいたのんだら、ゆるしてくれると思う。やさしいからだいじょうぶだよ」
「……ほんとうに?」
俺の言葉で女の子の震えが弱まった。
それが分かると、抱きしめる力を強めた。
「うん。きみのいまのかぞくがこなかったら、きみをぼくのかぞくにするよ。だから、なかないで」
「…………ありがとう」
この時、俺は初めて女の子の笑顔を目の当たりにした。
それはとても魅力的で、この子が泣いていたときに抱えていた不安が一気に吹っ飛んで、俺まで笑顔になってしまうほどのものだった。
そんな風に俺が少女のことを抱きながら笑い合っていると、俺ではない男の子の声が聞こえた。
「まいちゃーん!!」
その声が聞こえると女の子の体が震えた。
それと同時に彼女に家族が迎えに来たことが分かった。
「よばれてるよ?」
「……」
しかし、女の子は動こうとしなかった。
「まいちゃーん! かぜひいちゃうからはやくかえろう!!」
再び名前が呼ばれて、その雨に濡れた小さな体がまた震えたのが分かった。
「いきなよ。はやくかえっておふろにはいらないと、ねつがでちゃうよ」
「……きみはどうするの?」
彼女の口から漏れた言葉は、迎えに来た家族の拒否ではなくて、俺の心配だった。
女の子は家族が迎えに来たということが分かっただけで嬉しくて、すぐにでも飛びつきたいんだって思っていることをそれだけで悟った。
だから、安心させるために抱きしめた手を離して笑いかけた。
「かえりみちをしっているからへいき。はれたらすぐにいえにかえるから」
当然、感情のままに走って公園まで来たのだから、今ならともかくあの時の俺が帰り道なんて分かるはずがない。
でも、本当のことを言ったら、きっと俺のことを心配して帰ろうとしないだろうと思ったので、咄嗟に嘘をついた。
俺の言葉を聞いて、女の子がホッとしたような顔になったのを見て、俺は口を開いた。
「よかった」
「え?」
「きみを、しんぱいしてくれるひとがいて」
その台詞に女の子が何を思ったかは当時も今も分かりっこないけど、彼女はあっさりと遊具の中を出て迎えに来た家族の元に走っていったことは分かった。
何か話をしているのは分かったが、どのようなことを言っているのかまでは、雨の音が強かったので知らない。
それよりも、この時の俺は必死にどのようにしてここまで来たのかを思い出して、帰り方について考えていたので、女の子の会話はあまり気にならなかった。
だからだろうな。
まさか、遊具の外から俺の手を掴むが人がいるなんて思わなかったのは。
「うわっ!?」
考え事をしている最中に突然、手を引っ張られてびっくりする俺。
そして、俺の手を掴んだのが、さっきまで遊具の中で泣いていた少女だった。
「きみもっ」
「へ?」
「きみも、わたしといっしょにくるのっ。ずっとわたしよりもびしょびしょじゃない!」
女の子に引っ張られる俺を見て、前にいた傘をさす同じ歳ぐらいの少年が苦笑していた。
これで、女の子が男の子と話していたことが、俺を連れて来ていいかどうかだってことが分かって、さらにびっくりした。
で、ここから1つの傘の中で3人が無言のまま、歩き出して公園を後にして、俺にとっては知らない家――女の子の家に案内された。
そこに入ると、初見の大人の女性が少しびっくりしたような顔で迎え入れた後に、女の子が一生懸命説明した後に笑って、その子の頭を撫でてから全くの赤の他人であるはずの俺を何も言わずに、タオルを出してくれて家の中に招き入れてくれた。
そして、俺は女の子と一緒にお風呂に入るように勧められた。
さすがに、子供ながらに遠慮しようと思ったのだが、女の子が有無を言わさずに引っ張り込まれたので、入らないわけにはいかなかった。
……これが、初めて家族以外の異性と風呂に入る機会となったのだが、やっぱりどうでもいいな。
それから、お互い無言のままお風呂で体を暖めていると、彼女の方が先に口を開いた。
「きみの、なまえは?」
「……あ」
そう言えば、互いに名前を聞いていなかったということに、俺も女の子に尋ねられてから気づいた。
そして、俺はおずおずとしながら、彼女に俺の名前を教えてあげた。
「ゆうま。ぼくは、こひなたゆうまっていうんだ」
俺が名乗ると、女の子も自分の名前を口にした。
「わたしはあさぎりまい。まいってよんでね」
こうして、俺達は裸の付き合いによって名前を知ることになったのだった。
……決して、変じゃない意味でな。
風呂からあがると、出してもらった服を着て(まいちゃんのお兄さんのものから借りたものだった)、まいちゃんと2人で見知らぬ大人の女性、もとい、彼女のお母さんに淹れてもらったホットミルクを飲んだ。
カップの中身が空になって時計を見たら、もう夜に近い時間になっていて、まだ雨が降っていたけど、かーさんも心配していると思ったので帰ることにした。
帰り道が分からなかったはずなのに、何故かその時は帰れるって確信を持ってたんだよな。
そして、まいちゃんや彼女の家族に帰る意思を伝えたら、
「みおくる」
まいちゃんが立ち上がって、そう言った。
俺には特に断る理由はなかったので頷いた。
彼女の家のリビングを後にする前に、まいちゃんの家族に「おじゃましました。ホットミルクごちそうさまでした」と挨拶すると、まいちゃんのお母さんがにっこりと笑ったのを覚えている。
「また、遊びに来てね」
その言葉に何を思ったのか。
もう覚えていないけれど、言葉を返さないまま、まいちゃんと一緒に玄関へと向かった。
そして、雨水が染み込んだ気持ち悪さが残った自分の靴を履いて帰ろうとしたら、まいちゃんから1本の傘を差し出された。
「このかさ、わたしのおきにいりなの。だから、あした、がっこうがおわったらさっきのこうえんまでかえしにきてね」
「……うん」
まいちゃんの言葉に俺が頷いたら、約束を成立させるために指きりをして、「ばいばい」と別れを惜しむより手を振りながら、彼女の家を後にした。
俺はまいちゃんのお気に入りの傘を差して、出会あわせてくれた公園を通り過ぎて、来た道のことを深く考えずに思ったまま1時間ぐらい歩いただろうか。
無事に俺の家まで帰ることが出来た。
でも、不思議と知らない場所から迷わずに帰れたことに対する達成感はそれほどなかった。
それがどうしてなのか。
今でもはっきりとした理由は分からない。
けど、帰り道の途中に、迷子になるかもという焦燥感や不安は感じなかったのは確かだ。
家に入ると、帰りが遅かったことを怒られることを恐れていたけど、かーさんは「風邪引いちゃいけないから、タオルで頭拭こうね」と暖かく出迎えてくれた。
そして、俺も家出しようと思ったことを言うこともなく、傘で防ぎきれずに体についた水分を手拭いで拭き取ったらちょうど晩飯の時間になって、そこでも特に怒られるようなことはなく、かーさんはいつものように接してくれた。
あの時のかーさんが俺が家出しようとしていたことを知ってたのか知らないのかは本人に聞いていないから分からないが、俺はあの日以来、家出をしようと思ったことはない。
だから、俺がかーさんに昔、家出しようと思ったことがあるって言うことは今後もないだろう。
翌日。
空は快晴、降水確率はおそらく0%。
傘なんて持って歩く方がおかしいような天気だったけど、まいちゃんとの約束を守るために、彼女のお気に入りの傘を持って学校に行って、昼ちょっと過ぎまで授業を受けた後に、昨日まいちゃんと出会った公園まで直行した。
1度しか行ったことのなかった場所だけど、やはり迷わずに行くことが出来た。
そして、目的地に着くと、ちらほらと遊ぶ知らない子供達がいて、家出した時に雨宿りするために入ろうとした遊具の中には目的の女の子がいた。
昨日とは違って、そわそわしながら遊具の中で体育座りをする同じぐらいの年齢の少女の姿を見つけると、俺は嬉しくなって、すぐに声をかけた。
「まいちゃん」
俺の言葉に昨日出来た友達あさぎりまいちゃんは、振り向いて笑顔を見せてくれた。
「ゆうまくんっ、こんにちは」
「うん、こんにちは。かさ、ありがとう。かえしにきたよ」
俺がまいちゃんに傘を渡すと、彼女は昨日みたく俺の腕を掴んだ。
「きょう、おかーさんがね、おいしいおやつつくるから、ゆうまくんといっしょにたべなさいって言ってくれたの! だから、はやくいこっ」
少々強引だったけど、そのあまりに嬉しそうな顔に俺は断ることが出来ずに、引っ張られるまま、また彼女の家へと足を運ぶのだった。
これが、俺の初めての友達と言っても過言ではないまいちゃんこと、今でも俺の最大の理解者である朝霧麻衣との出会いの物語である。